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ホーム >  アイセロを知る >  アイセロの挑戦 >  セロファン工場自主閉鎖

セロファン工場自主閉鎖

昭和40年代の半ば、当時主力製品として製造していたセロファンの製造工程から、公害問題が起こってしまいました。色々な公害対策をしたものの、当時の技術では100%原因を改善することが難しい状況でした。
その時、当時社長の牧野新二は「環境浄化のできない企業、社会に何らかの形で迷惑を及ぼす企業は、一時的な繁栄はあっても将来を期すことはできない」との固い信念に基づき、昭和45年(1970)11月、20年間にわたって育て上げたセロファン工場を自ら閉鎖するという道を選択しました。
それは苦楽をともにした従業員と別れること、当時の売り上げの半分を無くすということであり、間違いなく倒産してしまうような大変な事態です。
しかし、この揺るぎない信念こそが新たなアイセロに生まれ変わる原動力となり、そして今現在も、3つの社是「高度の企業性の発揮」「全社一体」「社業を通じて社会に奉仕する」として、その精神が引き継がれているのです。

セロファン

壊された工場

工場閉鎖で電源を切る牧野新二社長

壊された工場を見る牧野新二社長

工場閉鎖を従業員に告げ涙する牧野新二社長

工場自主閉鎖の新聞記事

 

牧野新二直筆のあいさつ状

創立50周年にあって 得意先、銀行、関連会社に送った牧野新二会長自筆のあいさつ状から抜粋

(中略)しかし、昭和42、3年頃よりセロファン製造に係る環境汚染が社会問題となり、一方住民運動が熾烈化し、企業存続の岐路に立たされました。生涯の事業として心魂を傾注して経営にあたってきた工場でありましたが、苦悩の末、経営者の社会的責任を果たすため、工場閉鎖を決意しました。昭和45年10月、苦労をともにした従業員諸君との決別、筆舌に尽くし難い萬感の思いが今もなお私の胸をよぎります。私の人生に於て最も悲しい辛い思い出であります。

 

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